【Interview】ルイザ・メイ・オルコットのオーチャード・ハウスミュージアム館長、ジャン・ターンクイストさん——「喜びに満ちたコミュニティに育っていくことが楽しみ」

1868(明治元)年初出版『若草物語(原題Little Women)』の舞台であり、作者ルイザ・メイ・オルコットとその家族が暮らした家、オーチャード・ハウス。現在もアメリカ・マサチューセッツ州コンコードで「ルイザ・メイ・オルコットのオーチャード・ハウスミュージアム(Louisa May Alcott’s Orchard House)」として、その歴史を伝えています。

そのオーチャード・ハウスミュージアム館長ジャン・ターンクイストさんに、住井円香副会長がインタビューしました。ジャン館長は私たち「若草物語クラブ」の名誉館長も務めています。

『若草物語』との出会いやオーチャード・ハウスミュージアムが大切にしている価値観、そして同ミュージアム海外初公認愛読者団体となった「若草物語クラブ」への期待などを伺いました。

(取材:2024年12月22日、ルイザ・メイ・オルコットのオーチャード・ハウスミュージアム・ルイザの部屋、写真:ミルズ喜久子・若草物語クラブ会長)

ルイザの才能を後押した両親のサポートと一家の工夫に満ち溢れたオーチャード・ハウス

—— 『若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットは、ここオーチャード・ハウスを舞台に物語を書きました。『若草物語』はこのルイザの部屋にある机で書かれたんですよ。オーチャード・ハウスはオルコット一家が一番長く生活を送った家でもあります。

ジャン・ターンクイストさん(以下、ジャンさん):ルイザ・メイ・オルコットのオーチャード・ハウスミュージアムの館長、そして若草物語クラブの名誉会長を務めているジャン・ターンクイストと申します。

オーチャード・ハウス自体は1600年代半ばに建てられたとても古い建物です。1857年にルイザの父ブロンソンが購入しました。ただ、購入当時の建物の状態は良好とは言い難く、オルコット家はすぐに入居することができませんでした。そこで、ブロンソンが手ずから改築することになりました。オーチャード・ハウスはオルコット一家の工夫に満ち溢れているんです。

実は、ルイザが『若草物語』を書いたこの机もブロンソンが作成したものなんです。当時は女性が筆を執ることに対する風当たりが強く、「女性が文章を書くと、精神や健康に良くない」という意見がまかり通る世の中だったにもかかわらず、オルコット夫妻はルイザの才能を後押ししました。手作りの机もブロンソンのルイザに対する心強いサポートのあらわれだったのです。

"本物”の物語である『若草物語』に惹きつけられた子ども時代

——ジャンさんが初めて『若草物語』を読んだときのお話をぜひ伺ってみたいです。

ジャンさん:私は子どものときから「実際にあったもの」や"本物”を好みました。例えば、博物館に行ったときは展示品を見て、「これは本物なの?」と周囲に尋ねたりしました。そこで「本物だよ」という答えを聞けば夢中になって展示を見つめた一方で、「これは本物じゃないけれど、そっくりに作ってあるんだよ」と返されるととてもがっかりしてしまったんです。

『若草物語』を初めて読んだのは、確か10歳ごろだったと思います。そのときも『若草物語』が実際にあった"本物”の物語であることに惹きつけられたのですz

マーチ姉妹のような姉妹が実在したこと。『若草物語』はそんな"本物”のモデルがいる女の子たちの物語であること。作者であるルイザ自身がジョーのような人物であったこと。本当にオルコット家がオーチャード・ハウスで暮らしていたこと。
物語でありながらも"現実”でもあった『若草物語』に魅力を感じ、それはのちにオーチャード・ハウスミュージアムで働くことにも繋がりました。

オーチャード・ハウスミュージアムが大切にする、助けを求める人たちへ惜しみなくサポートをしたオルコット家の「優しさ」

——オーチャード・ハウスミュージアムが大切にしている価値観などはありますか?

ジャンさん:オルコット一家は、困っている人たちにできる限り手を差し伸べてきました。あまり日本では知られていない話かもしれませんが、「地下鉄道」と呼ばれる活動にもオルコット家は携わっていました。

地下鉄道とは、19世紀に黒人の奴隷となっている人たちを、奴隷制度が残るアメリカの南部から、奴隷制度が廃止された北部、もしくはカナダへ逃げ出すことを助ける活動でした。実際の鉄道というわけではないのですが、南部からの逃亡者を匿い、支援する宿泊先を提供する「駅」があり、北を目指すための道標や秘密のルートとして機能したのです。

現在のオーチャード・ハウスミュージアムもオルコット家が助けを求める人たちへ惜しみなくサポートをしてきたように、「優しさ」を大切にしています。

——オルコット家が社会正義にも大きな貢献していたことが伝わってきます。ルイザの母アバは、アメリカで初めてのソーシャルワーカーの一人としても知られていますね。『若草物語』の中にも、そうした優しさや社会福祉援助の側面が多く表現されていますが、その中でもジャンさんのお気に入りのエピソードがあれば、教えてください。

ジャンさん:クリスマスの朝にマーチ家の四姉妹が近くに住む貧しい家庭に食事を持って行ったお話が特に好きです。生まれたばかりの赤ちゃんのほか、6人の兄弟と母親が暖炉もなく、食べ物もない家でお腹を空かせ、凍え苦しんでいる。その話を知ったマーチ夫人に協力して、四姉妹は自分たちの食事がなくなるのを厭わず、苦しんでいる家庭のもとへ向かったのです。

このお話も、本当にあった出来事をもとにしているんですよ。ただ実際は、クリスマスではなく元日の出来事でした。ストーリーの流れの中で加えた脚色ではないでしょうか。

食事を受け取った家族にとって、一年でたった一度しかない特別な日に、これ以上ないプレゼントだったと思います。直接自分に関係がなかったり、見知らぬ人に対しても愛を与えることができるということを象徴したエピソードです。

『若草物語』の読者やオルコット家ファンの架け橋として機能するオーチャード・ハウスから若草物語クラブへ

——最後に若草物語クラブにどのような風なクラブに発展していってほしいかをお聞かせください。

ジャンさん:オーチャード・ハウスは、コミュニティとして機能してきました。『若草物語』のファンの方の存在や、オーチャード・ハウスが行うボランティア活動を通じて、"人と人”、"心と心”を繋ぐ場になっています。

ファンの方が直接オーチャード・ハウスに来ることができなくても、その互いを気に掛け合っていくということは変わりません。オーチャード・ハウスはコミュニティの拠点として『若草物語』の読者、オルコット家のファンなど、さまざまな方の架け橋です。

『若草物語』の好きな場面を話し合ったり、離れていても交流ができる、そんな喜びに満ちたコミュニティに若草物語クラブも育っていくのではないかと楽しみにしています。

 


●プロフィール●

ジャン・ターンクイスト(Jan Turnquist)

米国イリノイ州生まれ。ウイスコンシン大学を英語と比較文学のダブルメジャーで卒業し、教員免許を取得。ウイスコンシン州の高校で英語教師となる。結婚後にマサチューセッツ州へ転居。1977年秋から、オーチャード・ハウスミュージアムでガイド、Education(教育)とリビング・ヒストリーのコーディネーターを務めたほか、ルイザの一人芝居を開始する。1999年5月1日より館長(現職)。2023年7月発足の若草物語クラブ名誉会長も務める。

インタビュアー

住井円香(Madoka Sumii)

若草物語クラブ副会長(アメリカ担当)。幼少期から若草物語を読み、作品の世界観に憧れを抱く。 小学生のボストン在住時にはオーチャード・ハウスミュージアムでのワークショップなどに参加。現在ボストン大学で経済学を専攻。

【インタビューの感想】

インタビューは、特別にルイザの私室を使わせていただき、ルイザが執筆した部屋でお話を伺うという大変光栄な機会に恵まれました。貴重なお話の中でも、オルコット家の優しさが社会貢献に繋がっていたというエピソードは、多くの社会課題が残る現代にこそ、改めて必要な視点なのかもしれないと感じました。またインタビュー後には、世界各国からオーチャード・ハウスミュージアムを訪れる来館者との交流などを通じ、様々な言語にも興味を持たれているとお聞きしました。日本語の「すごい」などもとても流ちょうにお話しされていたことが印象的でした。

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